やってきたことを自負するべき

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【アイスホッケー・金子直樹さんインタビュー】「これまでの経験は自負してもいいんだなと思った、自負すべきなんだなと思った」

アメリカで幼少期を過ごしアイスホッケーに出会う。ヨーロッパ各国でマイナープロ、そして帰国後、横浜グリッツでデュアルキャリアでプロを経験。希有な経歴を持っている金子直樹さん。現在はトレーナーとして活躍されています。今日に至るエピソードをお聞きしてきました。

上手な大人といっしょにホッケーするのが好きだった。そういう気持ちを大人になっても大切にしたい。

ーーどんな少年時代でしたか?

幼少期にアメリカで過ごした時期があり、そこでアイスホッケーを始めました。そこではファンホッケーだったのでプロ選手を目指すという気持ちとか当時はなかったです。アメリカは季節毎にしたいスポーツを選べるので夏はサッカーをしていました。

その後日本に帰ってきてサッカーは続けずアイスホッケーを続ける訳ですが、5年ほど前まで高田馬場にスケートリンクがあって、そこを拠点にしているシチズンというジュニアチームでアイスホッケーを続けました。小学生のときは毎週土曜日に週1回だけの練習でしたね。中学生になってからも週2~3回しか練習はなかったので練習量は少なかったですね。

ジュニアチームでの思い出は当時の監督やコーチが練習メニューや試合に混じって一緒にプレーしてくれたことですね。上手い人といっしょにやるの、おもしろいんですよね。(笑)大人からパック奪ってやろうと一生懸命になるし、なんかかっこいい技とか見ると俺もやってみたいとか思ってた。そういう経験をさせてもらえたことが今すごく自身の成長に繋がっていたんだなと感じています。

ーーアイスホッケー以外にハマったことは?

ひとつもないですね。(笑)父親が野球やっていたので、キャッチボールしたりバッティングセンター行ったりとかしたけど、競技でしたいというのはなかったですね。

だけど中学1年生のときに夏まで野球部にいました。体力づくりのために一瞬だけ入りました。(笑)

それ以外だと高校1年生のときに弁護士になりたいと思ったくらいですかね。でも自分は無理だなと諦めて、なんかそのままふわっとした学生生活でしたね。

あるきっかけで海外に行きマイナープロへ。そしてデュアルキャリアプロへと。だけどこの経験は自分の中でずっと自信を持てずにいた。

ーーその後海外に行くわけですが、経緯やそこで得た経験などありますか?

ジュニアチームのときからの知り合いだった宮崎遼くん(横浜グリッツ元選手。現在はシャンパン輸入事業などされてます。)に海外の話を聞いたのがきっかけですね。海外にはこういった世界もあるんだよっていうのを聞いて自分も行きたいと思い挑戦しました。

海外だからというわけではないですが、高校生のときから腰痛にずっと悩まされていたこともあり、マイナープロになってから更に試合への準備を念入りにしたり身体のケアをする大切さを痛感しました。マイナープロになる以前は独学や根性論でトレーニングしていたので、初めてきちんとしたトレーニングを知りました。

当時の日本は根性とか精神論で済ませる風潮があったと思いますが、海外はそういう点で違いましたね。今思えば高校生のときから患っていた腰痛は根性とかじゃなく、普通に怪我していたんだなと思います。

ーー海外から帰ってきてどういった経緯でデュアルキャリアを始めることになったのですか?

28歳のときに日本に帰ってきました。横浜グリッツでデュアルキャリアを始めるまで少し時間が空きました。それまでは社会人リーグでアイスホッケーをしながら仕事をしていました。一旦は引退をしてプロから離れた期間でしたね。

腰の怪我をしたことと、正しいトレーニングをすることや身体のケアする大切さを経験したので、その経験を生かしたくて最初はトレーナーの仕事をしました。身体の仕組みを学んでその人に合ったトレーニングを私は提供したかったのですが、当時働いていたジムはメソッドが決まっておりそれをいかに実行できるかが重要だったので、方向性が違ったため退職しました。

次は古紙回収の仕事でした。回収の仕事は身体を動かすので元々スポーツをやっていたしいいかなと思い就職しました。だけどこの仕事しているとき俺は本当は何がしたいんだろう、という気持ちが常にありました。

そんなときに横浜グリッツというデュアルキャリア(仕事をしながらプロアスリートを続ける)のチームができる話を聞いて、仕事をしつつホッケーもプロとしてもう一度できるチャンスをいただけたのでチームに参加しました。

しかし、参戦したアジアリーグでチームはボロ負け、自分も慣れないディフェンスになったりと本当に辛い毎日でした。チームに貢献できない自分、うまくいかない、できない自分に本当にイライラしていましたね。これまでのキャリアを自分で否定して、俺はだめだ、という気持ちになっていて、自信を持てずにいましたね。

今はその経験があったからたくさんの人に支えてもらえるきっかけになったし、支える出来事になった。

ーーその後引退して、今はフリーのトレーナーをしてる訳ですが、経緯とかは?

次に進むタイミングかなと思いプロ選手は引退しました。

これまで好きなことをしてきたので、真っ当な道に進もうと思い大手の広告代理店に就職しました。

だけどお察しのとおり、やっぱ自分には無理だ!と痛感したね。スキルや経験もなく業界に飛び込んだから会社に貢献できない毎日だったし、会社員だから当然業務を遂行していくわけだけど、本当にこれは俺がやりたいことなのか?と思ったね。

世の中の風潮はきちんとした会社に勤めてそこでの業務を全うして、出世して、みたいなのが良い、正しい、とされているのを感じていたから悩んだけど、それよりも俺は本当にしたいことをしているほうが幸せだと改めて思ったから辞めたね。

それで、高校生のとき腰を怪我したこと、プロになって身体のケアや正しいトレーニングをすることの大切さを経験したからそれを提供する側になりたいと思ってトレーナーになることにしました。最終的な決め手は横浜グリッツのトレーナーの藤田さんに出会ったことだったかな。藤田さんに出会ってこれまでずっと悩まされていた腰痛が良くなったから、それが大きな出会いと出来事でしたね。出会いって本当にすごいなと思います。

ーー現在トレーナーとしてやホッケーでの活動はどうですか?

業務委託で仕事させてもらってるのと、あとは自分についてくれたお客さんを見てます。

お客さんから「プロとしてスポーツをしていたなんてすごいね」とか言ってくれることが本当に多くて。当時からずっと自分に自信を持てずにいたけど、あ、この経験は自負してもいいことなんだ、自負すべきことなんだ、と思えましたね。

トレーナーとしてはこれまで自分が怪我をした経験があるからそれを活かして、その人に合ったトレーニング指導やほぐしの施術をしています。ぜひ身体の悩みなどがある方はご相談ご依頼してほしいですね。

あとホッケーでは学生の指導やスクールコーチをしています。一緒になって練習したり、お手本を見せたり、自分が子供の頃感じたことを大切にし、指導しています。現役当時は嫌だったディフェンスも、今はその経験があったから学生や子供たちに伝えられることがあって、あ、経験してよかったな、と思えていますし、経験させてもらえたことに感謝してます。

ーー最後に子どもたちや学生、スポーツとキャリアで悩んでいる人に向けて伝えたいことをお願いします

キャリアについて奮闘してる最中だからうまく言えないけど、当時の自分にも言えることだけど視野を広くもってほしいかな。その瞬間は嫌なことかもしれないけど、広い視野をもってその瞬間を見たらいつか繋がることがある、って気付けたかもしれないから。人との出会いや何かの機会に繋がることもあるからね。

金子直樹氏のプロフィール

日本大学鶴ヶ丘高校卒業、日本大学を中退しヨーロッパへ。アメリカ1年、フランス3年、ベルギー1年、リトアニア2年と各国のマイナーリーグを渡る。現在はフリーのトレーナーとアイスホッケーのジュニアコーチ、スクールコーチをしている。

インスタグラムからパーソナルトレーナーの依頼を受け付けているようです。ぜひご興味がある方、身体の悩みや食事法などご相談ください。

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